旅に出るということは、出会いを求めるということだ。
たとえば。
開店前の道の駅。
だんこを見て、きれいだと思い。
ついでにキムチ売りのアガシ(いや、おばさんか)と世間話をして、韓国釜山の話をして。
「おくさん、このひと、1人で釜山行かせたら絶対、ため」
「男たち、悪い遊びしかしない」
・・・・アガシ嬢。
「そうかなあ、釜山って、そんなにいいところなんだー」
・・・・おいら。
たしかに、ソルビンさん臭さと塩辛くないキムチはうまかったよ。
たとえば。
野草を凝視したり、背景に気を使ったりしながら、散歩を楽しみ。
ついでに、田んぼ仕事しているばあちゃんに話しかけて。
「そんげ、難儀な仕事、機械に任せればいいがんねー」
畔際のべとをはねている様子を見て、おいら。
「昔からのくせらんさ、しねばしねで、いんだれも」
「おめさん、写真とって、なんかのコンテストに出すんねー」
ばあちゃん。
「いや、そういう人は、桜の木と汽車の写真撮ろって、寄ったかってるがね」
「おれ、百姓がひまで、温泉に入りに来たんさ」
しばし、世間話。
「おめさん、白根あたりらかねー」
「どきっ」
「そのとなりらへん」
「わかるもんらかね」
おいら。
「村ね、白根から嫁に来たのがいてさ」
ばあちゃん。
「人間、縁があればどこでもらね、あははははー」
またまた、たとえば。
石碑を見て、看板を見て、歴史を感じて、旅というのは。
なしをぶつ、話をする相手探しなのである。
比較的、おいらは、話し相手に恵まれる方である。
すきだらけの構えであるから・・・なのである。
(緑の日のこと)
(
さて去年の今ごろは)