8月14日朝。
親戚一門、お客さんたちが神妙に、もとい、念入りにお参りされると、おいらもやはり、朝のお勤めをしなければ・・・・・と。
このときばかりと、東寺から仕入れた線香と、光琳という高いもらい物線香を取り出していぶす。
よくよく考えれば、香道という作法、べつに線香であっても全然いいわけで、毎日香りを楽しむというのは、別にコーヒーだけではなく、ましてや、朝一番の、自分のうんこの匂いをかぐことが香道であるとは、まつたく定義付けされていないわけで。
通夜葬儀場の、硝煙くさいやつよりも、よっぽど自宅の1本が大事かであるが、われら門徒は、4つ折りにしていっぺんに香りを出してしまい、多少煙たい感が出過ぎている。
テレビなどにでてくる、1本をすっと立てる宗派ならば、けっこうしっとりと香り漂うのかもしれない。
門徒というものは、なんでもありで、がさつである。
一種独特、ゴムまりのようなところがあるから。
今年は、ばあちゃんが仏具をみがいた。
朱鷺子が残念がっていた。
おいらも、させるつもりでいたから。
年寄りが、いつまでも働いて、若いものが動かない、社会なのかとも思う。
もし、日本国家庭憲法が制定されて。
「第9条、家事はこれを永久に放棄する」
などと女性たちが定めたなら、安倍さんとともに、改憲に乗り出さなければなるまいて。
それほど、ばあちゃんには助かっている。助けられている。
(
だいぶ前のお盆)
(
おまけのお盆)
がっしゅおう
南無
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