写真の青が出過ぎるほど、ロシア上空なみの天気であった。
たまたま、外での仕事。
先人たちの、越後平野を美田にかえていった労苦を知る機会であった。
昭和30年代後半から、鎧潟の干拓をはじめ、越後蒲原平野の悪水抜きは国営事業で行われた。
わが家も当時、大手ゼネコンが雇っていた住み込みの工事人夫が寄宿していて、それに合わせて調理師夫妻が、食事、賄い、洗濯などをして泊りこんでいたというを先代から聞いていた。
いま、ストマネ時代。
ストックマネジメント、そういった高度成長や国策事業によってつくられた施設を、維持補修していかなければならなくなっている。
高齢化、少子問題、過疎化空洞化。
みな、すべてに繫っているようだ。
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