2006年 05月 09日 ( 1 )

新潟県内、五里霧中


 霧の万代橋と明治カールの看板



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 ひどい霧、よくいえば幻想的、また作詞家山岸一二三にいわせれば

 「♪今日も霧が降るーう 万代橋よー♪」となるわけだ。


 この日、新潟県ほか福井以北は霧だらけ。紀伊国屋にいくついでに写真とってきたけど、さっぱり被写体がない。スコットハミルトン(※)がヌード撮影会やりそうな感じ・・・

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 川沿いにバイク走らせてたら、なつかしのボート部がいた。新大のシェルエイト艇だった。進入部員の体験航海のようだ。

 記憶・・・高校は2年の夏までボート部で過ごした。

ボート部に入った理由は、陸上部と違って一日中走らなくてよい、川を見ながら景気がよさそう、新しいジャンルのスポーツであるなど・・・・・実際は、毎日万代橋までの3キロを走らされる部だった。
 当時、ボート部があったのは、県高・南高・明訓・沼垂、あとは、遠く津川の野武士軍団と佐渡両津のへなちょこクルーぐらいだった。南は市内ではテキなしだったが、爆走津川には勝てなかった。

 ボートの基本・・・当時はナックルフォアのレースが標準。舵取り1人に、こぎ手4人でクルーは合計5人。最初にストロークというリズム感のいい人が舵取りの前に来て、次が主動力の2人がすわって、最後が船の先端バウで、船の波きりに左右されやすいところをこぐ、技術が高い人、テクニシャンが並ぶ。
 おれは、無駄口が多くてこぎ方にむらがあって、でも力があったので真ん中の主動力部分になった。
 自慢になるけど、ボート部1.2年合同重量挙げ大会で、2年山田主将と同格の、自分の体重(※)以上持ち上げて優勝したのだ。当時は、けんすいも20回は平気だった。

 さて、宿敵津川の武士軍団との対決。

 ボートの大会は、信濃川か津川漕艇場で行われた。
 津川はダムになっているところで、流れなく平坦な直線爆走コース。それに対して信濃川は、川の深さが一定でなく昭和大橋付近で左カーブするため、舵取りのうまさ(艇速をおとさず船をできるだけ傾けない技術)が要求される。まれに下手な舵取りクルーの津川艇に勝つことがあつた。でも負けつづけていた。

 「打倒津川、津川を倒して北信越大会、国体に行こう!」ボート部OBの熱意により、わが南高校に新兵器のオールが寄付された。
 「でっけー、ふってー」津川のオールもでっかいけど、明らかにそれを意識して大きくしたオールだった。
 練習にも熱が入った。今までのピッチ(1分間の漕ぐ回数)を上げていく方法から、1本1本、力強いキック力で推進力をつける方法に切り替えた。OBkふとんやさんも、がみがみの坂上さんもしょっちゅう教えに来てた。  船は女だ!大事にしろ、船底は女のしりだ!しっかりみがけーって。

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 2年の夏、国体予選。やっぱり津川には勝てなかった。クルーを組みなおして来年もと誘われたが、気力果ててボート部を去った。
 あの日焼けした顔、リーゼント頭の赤ジャージ、津川のボート部は生涯忘れない。
 

 その後は、松田聖子の歌とともに、パチンコとアルバイトとバイクで高校生活を送った。
 高校は、何とか卒業した。
 松田聖子は、当時付き合っていた女性に相当似ていた。(その後一方的にふられた)


<br clear=all>おまけ
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 なにげなく、安部ック。上海っぽい写真になった。






※スコットハミルトン。写真家。カメラのレンズに息吹きかけて、ぼかしながら裸婦を撮影して、一時期雑誌で活躍した人

※ボート部のときの体重は、今から30キロ少ない67.5キロ。持ち上げた重さだから記憶は確かである

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by kbmn37gnkds | 2006-05-09 08:41 | 越後の国のこと