![]() 娘、いろはが、にいちゃんのアパートで、大学受験の宿にして逗留していることは前回書いたとおりだ。 にいちゃんから先日、 「正月に実家に帰ってて、バイトの稼ぎが少なくて、助けて」 と、連絡があり、よっぽど困らなければ、勇気がなければ、連絡などはくれないだろうと思い、2万円出してやったところ。 そんな心配もあって、布団の心配やら、妹を頼むよの電話を入れた。 「どうだ、家賃払ったんかー」 「うん、払った」・・・んだけど。 「何、どうしたー」 「昨日、ガス止められて・・・」 3か月分のうち、1ヶ月分は払ったんだが、連絡が遅れたとかで。 「ばかっ」「・・・たれ」 「いまはもう、大丈夫だけどー」 娘が、渾身のありったけの力で、大学受験に臨んで出かけながら、シャワーさえも浴びれず、ふだんは、毎朝起きて髪を整えて高校に出かけてゆく姿を見ていて、どんなに歯がゆかったかと思うと。 この写真にあるような、お茶らけた敬礼のおとこか、おまえは。 おれの子ゆえか。 越後地方は、大雪である。 ただ、耐えるのみである。 当面は、押人忍の精神で行きたいと思います。 引かば押せ 押さば押せ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 写真を見ていると、 「こいつぁ、しんつれい、しましたー」 という、カトちゃんに見えてくる。 (写真は相当前、新発田駐屯地かなあ・・・・) . ![]() あのころのクラウン。 M型エンジン。 3速オートマ。 シャシーがあるボティー。 ビール1ケースで買った車だったが、よく走った。 いろいろ出かけた。7人乗り。 あのころの板は。 体重がまだ、いまより-10キロで、こんな薄い板でも乗れたのに。 130リッターの分厚い下駄のようなボードに乗っていても、あたふたする始末で。 しかし、つくづく。 仕事に追われていてとてもー・・・などと言っていられないのであるが。 老体になっている。 鞭打つ人、募集中である。 今朝、ブログを開くと、TYO方面にいる、Y本の二番目の娘さんから、思いがけずコメントをいただいていた。 小さい時からよく知っているし、おいらの素性もよく知られているし、たいしたことが、言えない。 ただ。 懐かしついでに、十数年前、尾瀬に、ふた夫婦子ども4人で出かけたことがあったなあと思い、写真を探してみた。 出てきたー、あるあるー、夏菓子屋ー。 ![]() あの時の記憶では。 舘岩村の民宿に泊まり、両家がふすま1枚となり同士、なぜかおいらのいびきが漏れたらしく、 「いびきがうるさくて、もうイカおじちゃんとは、泊らない」といわれ。 我が家は我が家で、夕餉にやまほどのジュースを飲んだ兄ちゃんが、やはり世界地図を描いていて、朝からドライヤーで、蒲団を乾かす作業に追われたこと。 いよいよ尾瀬に行くと、歩きついでに、登山道に飛び出ていた、ねこじゃらしを抜いて持ってたら、 「自然を傷つけてはいけません」と、パークレンジャーらしき青年にしかられたこと。 木道一本に、あんまり人が多すぎて、こんにちは責めあいさつで、えらく疲れたこと。 ・・・・そんなこと、あったなあ。 光陰らいくあろー ゆく年くる年しわの数 記憶が薄れて脳卒中 つくづく人生一場の劇、自作自演の大活劇とはよく言ったものだ。 話は冒頭に戻る。 彼女は今。 高校を卒業してから、きっちり2年間働いて、とてもそんな期間では手にできないほどのお金を貯めていた。 「やりたいことがあるから、東京に行きたい」 「よし、そこまでの意思があるなら行ってこい、困ったことがあったら、いつでも戻ってこいよ」 こうした親子の会話があった後、彼女は今、都で歌や踊りを学んでいるようだ。 姉と妹、それぞれに道がある。 ........................................................................ 我が家、子育て前半組の二人、写真があった。 当時の愛車、海坊主号にのっかっている。 ![]() 今。 そんなおいらはというと。 子育て後半組みに、もう一人いて、よわい50に近いのだが、何とか頑張っている。 平成15年撮影 木場地区上空、北側から写す。 ![]() 高度経済成長によって、 田中角栄氏によって、 わが村は大きく変動した。 当時を知る村役場の開発担当OBは、大蛇がほうずると表現した。 集落が分断される山田地区は、むしろ旗で反対運動を起こす寸前だった。 写真左は、うねうねの暴れん坊川、中の口川 写真中央は、上越新幹線。その右隣が北陸自動車道だ。 首都圏から新潟を結ぶ、2つの交通網が、一番くっついているところが木場である。 この真ん中に挟まれたところに、木場八幡様がある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() 同じく、南側から撮影する。 上の写真とも、木場小学校の閉校記念に撮影されたものである。 (思い出) 中学の卒業式を終えて数日後。 開通前の高速道路の上で、スプライトのサントリーホワイト割り(逆かあ)で酒盛りを始めた。 その後どうなったかっていうと、 気分良く飲んでいるところに、道路パトロールがやってきて、 「何やってんだー。、おりれー」 閉店前に居酒屋を出されたお客のようだった。 たしか昭和54年だったと思う。15才の春である。 ![]() こいつに乗ってた頃。20年は前のこと。 地元の月刊誌から取材されて、生意気にも、掲載されたことがある。 バイク乗りが、毎月リレーで紹介されていくという企画だった。 おいらのタイトルは、 「バイクはカッコつけない、自然体が一番」 どんなにかっこよいバイクに乗っていようが、そっから離れれば、バイク乗りなんていう趣味もわからぬただの人っていうことを言いたかった。 釣り竿を、車体にガムテープで貼りつけて、ツーリングに出かけていたころのことだ。 16歳からバイクに乗り始めて、10年後のことだ。 コメントの最後に、 「つぎにどんなバイクに乗りたいですかー」と聞かれ、 「スーパーカブ250みたいのがあったら」と答えていた。 そんな考え方は、今の、おいらのライフスタイルに近づいていると思う。 ビッグバイクには、機動力に限界があると感じている。 いまは、125のスクーターが、えらく活躍している。 ![]() このころ。 まだまだ、おいらはやせている。もちろん独身である。 なぜか、田んぼの真ん中で、ポーズ取っている。 . . . . . あぽんなたいむ・・・若いころのおやじ ![]() カメラもって。 嬉しかったと思う。 カメラを持って農閑期、あちこち出かけたようだ。 宮本常一の言葉通りである。 おいらも。 土着的環境にしばられている・・・・・ことをばねにして、あちこち出かけたい。 いや。出かけるぞ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なぜか今。 昔のアルバムをほじくって、時空の旅をしている。 あぽんな・たいむ・・・・ 父の写真より ![]() 昭和30年ころ。 巻町五ケ浜。 いまだシーサイドラインという有料道路が通っていない時代。 この浜に行くには、船か、波を逃げるようにして岩場を伝ってゆくか、はたまた五ケ峠の山越えでしか行くことができなかった。 感覚的にいうと、ハワイホノルルのハナウマ湾。 あぽんな・たいむ昭和20年代。 ![]() 親父と牛。 アルバムには、昭和27年のお盆、牛の15才記念とある。 この時父は19歳。 父から聞いた話では、頭のいい牛で、水路をわたるときの、幅30センチ程度の板の橋を、一気にかけ抜けたという。 その後。 耕運機が導入されて売られていくときは、目から涙を流したという。 つられておやじももらい泣きしたという。 牛は売られていった。父もすでに骨になった。 ![]() 明治初期、中蒲原郡俵柳村から移築。 昭和55年解体。 昔のわが家である。 今、思い出は語るまい。 ※スキャナープリンターを買い、昔の写真を載せることができるようになりました。 < 前のページ次のページ >
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