「ほっ」と。キャンペーン

<   2005年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

冬場の拘束バス通勤が始まった

 本日、朝から暴風雨。バイクから高速バスに乗っていく時期がやってきた。
 朝からいいことがあつた。
 毎年、バス乗り場で感じていたこと。冬は、乗客も多く鳥原という野っさらの中、吹雪でも外で並んで待たなければならないのである。時には20分以上も・・・・これはロシア人よりもすごい。
 だから、もうすぐ乗れるっていう屋根のあるところにくると、ホントにほっとするのだ。・・・ところが本日も、無口な新潟県人は中でも一列に並んでいるのである。半分以上通路が空いていて、二列になればもっと多くの人が暖を取れるのにだ。

 私は思うところあって、いつも前の人の横に並ぶ。今日もそうだった。入り口から10段ほど上ったところ。そこに、うしろから小さく「すみません」と声をかけられた。
 長髪だけど、けんたかの生徒だった。俺よりも前に出ようと思ったようだ。(えらいぞ高校生)
 そこで、「つめてくださああーい」と中くらいの声で前のほうにお願いした。
 すぐに皆が二列になってつめてくれた。後ろの高校生に、
 「こんなもんでどうだ」といったら、「はい、どうも」とにやっとした。そとに並んでいた人たちも中側にはいりきったようだ。

   高校生の一言が、人を動かした・・・・・・
e0034554_14192271.jpg

 仕事の途中、木山の漬物やさんの前で・・・漬け菜になる、酒のつまみになる・・・

 冬の通勤は、こんなふうに人の後ろに並んだり、待つことが多すぎて、はっきりいって好きではない。いつものスクーターは、出勤時間が30分も遅くていいし、道路が渋滞しても相手の車線も歩道も走れる。・・・・・でもひとつだけいいことがある。

 朝の30分、自分の好きな本が少しだけ読めることである。
 今年は、司馬さんの「胡蝶の夢」四巻を仕入れた。幕末の医者の話である。司馬さんの本は、読みはじめる前に気合がいる。(夏場ではつづかない)
 それから、呼び水もいる。手はじめに、20年らいの付き合い、海洋冒険小説作家、クライブカッスラーの最新版からはじめる。二十歳のころからもう20作以上になっている。彼も、日本語翻訳者の中山善之さんも70歳をこえているが、なかなかどうして。やるやるとはきいていたが。やる。
 そういえば、今年原作のひとつが「サハラ」という映画になった。
 だめもとでみたら・・・・・だめだった。

 何を隠そう、この私、中学の頃から映画好き、雑誌ロードショーを不定期購読していたのだ。

 大事な原作をよくもまあ・・・・ボロキレにしやがつて・・・・カス映画にはもう金はらわん。

e0034554_14464133.jpg

   しかし、朝から、いいことがあった。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-29 09:24 | どうでもいいこと

イチョウの里にいってきました

 村松町蛭野地区は越後曹洞宗の古刹、慈光寺門前にあり。江戸時代天明の飢饉より、村人を救うために植えられたイチョウの木が村中を包む。
 黄金色一色、同年代の奥さんが銀杏拾いをしていた。
 「風が吹くたびに、こうやって熊手でかき集めてから川でさわして乾かして・・・年寄りが弱ったんで仕方ないわ」出荷しているんですかとたずねると、「親戚にくれるので精一杯、出荷する人は早出しで稼ぐけど・・・」あきらかに言い回しが勤め人である。畑の野菜と違って作付けしなければよいと言うものじゃない。イチョウの実がどうしても降ってくるのである。
 数年前、木場の閉校事業にイチョウの木を植えようと苗木を村中に配った。栽培実験を自分でやってみて、PTAでつくり方を実験して、それから子供たちの授業の一こまに入れてもらってなんとか事業をやり終えた。
 蛭野の風景と、あの事業が結びついていると感じてくれる人は、いらっしゃるだろうか・・・・・

 あの時、PTAの女性たちはこういった。
「くさい。こどもがさわるとかぶれるらしい」

 学校の先生はこういった。
「栽培に失敗したら責任が・・・みなさんの協力がないと無理です。夏休みはどうするの」

 地元の村役はこういった。
「もう木なんかいらね、雨とよがつまるばっから・・・・」

 農業改良普及員が学校をたずねてきた。
「オスの木ばっかりで使い物にならん・・・・」

 ひとつひとつ聞かせてやった。新聞にも取り上げてもらった。地区PTAの取り組み事例で話もした。種木が配られてまもなく、もとになった木場小のイチョウは倒された。・・・邪魔らしい。

慈光寺まで参詣に行く途中、杉の大木がつづく。途中には句碑やお地蔵様が。

 顔のいい地蔵様をみると、こちらもにこやかになってしまう。

 くびを傾げた地蔵様をみると、衆生の私も同じ向きに、首をかしげてしまう。
e0034554_17182341.jpg
e0034554_17534595.jpg
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-28 17:17 | 越後の国のこと

音信不通だった黄福来からメールが来た

 うれしい。朝から気持ちが乗っている。というのは、台湾の温泉でいっしょに潜望鏡を上げた友人、高雄市の黄色さんから写真が届いたのだ。
 日本の風呂ではこうするのだといって、海水パンツをつれ脱ぎさせられた男だ。俺に似て、スポーツ刈りのアザラシタイプ。
 レンタカーの運転手、桃太郎さんとテレサテンの歌が得意な人。民宿に一緒にとまった恩人である。

e0034554_15281324.jpg

すでに具天狗店状態の私。黄色さんのコップにはヘネシーが・・・



e0034554_15332720.jpg

 これが届いた写真です。
 黄色さんは、この石碑にかいてあるアミ族という少数民族の村を訪ねてきたとのこと。びんろうくちゃくちゃ状態のままドライブしたのでした。
 台湾の人は地図を見ることがないのか、地図と言うものが信じられないのか、少し走ると道を聞く癖があるようです。
 
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-25 15:28 | 自分のこと

こう寒い日が続くと南国を思い出します。

寒い日、雨の日が続いています。
 南国台湾の風景で、いっときのホッカイロになればと・・・・

e0034554_1717687.jpg

 ご存知、台湾鉄道の駅です。日本でいう○番線といのは月台で表示されます。
 この国に鉄道を持ち込んだのは日本人ですから、まったく違和感がありません。今秋、台北から高雄まで新幹線が一部開通します。(工事遅れ気味)日本の新幹線の輸出です。
 駅名に漢字2文字の日本の苗字が多くて読みやすいのです。

e0034554_17175183.jpg

 派手な観光バスが隣にやってきました。デラックスリムジンの上にこの顔立ち、日曜日朝のゴレンジャー(ちょっと古い)に出てくるようです。このシリーズはけっこう色違いで見かけます。

e0034554_17185716.jpg

 花蓮市の安ホテル、金龍飯店の玄関にて。
 日差しが強い日でした。このホテル、エアコンの調節ききません。がんがん冷えます。おまけにありんこ多数。ワイングラスを手から離して本読んでたら、やつら大集合。
 2500円で風呂付テレビ付き。他の宿泊客ゼロ。洗濯ほすハンガーがなくて、同じフロアーのあいてる部屋からかき集めた。部屋中が物干し場。翌朝にはきっちり仕上がった。

e0034554_18534540.jpg

トロピカルなジュース。みんな本物のフルーツだ。
 海岸端の売店にて。見えてる海は太平洋。
 ハンカチみるとわかるけど、濡れてるの全部汗。100メートル下の海岸まで散歩してきた帰りの一枚。上半身裸状態。このハンカチでブラジャーつくって台湾人の記念撮影に加わる。ばかうけだった。

e0034554_18535744.jpg

 この写真も鮮やかな青空です。後ろの山に注目。
 台湾で一番高い山、新高山です。日本でいうと富士山のようなもの。
 この山、太平洋戦争当初、真珠湾攻撃の折に発信された暗号に入ってます。
 「ニイタカヤマノボレ、トラトラトラ」
 小さいときから戦車とか軍艦とか大好きだった少年には、忘れられないフレーズです。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-22 17:01 | 自分のこと

七司庵の由来について(くどいけど)

e0034554_10274516.jpg
  
 山際七司を知っていますか。
 
 木場の人、木場小学校をつくった人、国会議員だったこと知ってますか。
 
 書号が「海州」というの知ってましたか。
  
 別の「海舟」という名前の人が好きで、自分の子どもに難しい名前をつけた人知ってますか。
 
 七司庵って木場の庄屋、山際七司さんに由来してること知ってますか。
 
 彼が、米沢藩兵とともに戊辰戦争に参加したこと知ってますか。
 
 彼の演説が、長岡にある県立歴史博物館で聞けること知ってますか。
 
 山際家がお宮とお寺を木場に持ってきて、庇護してきたこと知ってますか。
 
 木場城があったとき、山際家はすでに木場にいたと思いますか。
 
 そうすると木場城の場所や上杉家とのかかわりも、いろいろ想像が膨らんできませんか。

e0034554_1032722.jpg

衣装代もなんのその

 11月20日、毎年恒例の木場地区芸能音楽祭が開かれました。写真は、木場小唄踊り子隊の皆さんです。出演者は皆木場の人、観客は一部来賓を除いて、ほとんど木場の人、ただし西の国に行きそうな人がかなり占めています。
 
 けっこう笑えます。大正琴の調律がずれたまま・・・・。
 
 本番中にカセットテープがからまる・・・・・・。
 
侍の格好してでてきた八割り人、大事なところで刀が鞘からぬけず、次の場面に音楽が移ったものの、今度は刀が鞘に入らす゛・・・。

  今回、唯一木場に住む演歌歌手、愛一二三さんに付き人がついていました。なんか目つきの悪い○ーさんそのもの。へび皮のジャケット着てた。作詞家の山岸さんはあいかわらず腰が低くて、勇吉の慰労会で色紙を書いてもらいました。もちろん中身は新潟ブルース。

 これが終わると、村の行事は正月の宮のぼりまで何もありません。

  上空は冬空、あいかわらずエイチジーが飛んでいます。
 
 (当初、ブログタイトルを七司庵とする予定でした。H27.6.30追記)


.
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-18 12:59 | 木場のこと

木場八幡宮の将来を考える(つづき)

e0034554_1371566.jpg

 怪しげな着色で涼しさを誘うかき氷のもと。木場八幡宮宵宮にて

 かつて、村祭りはくらしの一部だった。未婚男女の出会いの場、唯一つらい農作業から開放される行事であり、ご馳走が食べれる日だった。その中で、唄や踊りが生まれ村人たちの一体感が培われた。逆に言うと、こうした機能が今においては必要ないとすれば、飢饉疫病天変地異でもない限り、村の鎮守様は必要なくなるでしょう。棒踊り盆踊りは、文化財として残されたとしても”何のために”が見えてこないのではないでしょうか。

 これがなければ、この行事によって”村の人々が安堵できる、やっぱり木場っていいなあ”という実感がわくことを探していきたい。村の運動会、芸能祭、村普請・・・・・・


e0034554_1374095.jpg

 山間の寂れた集落で見たお地蔵様。福島県山都町にて
 立派な社(おやしろ)はないけれど、村の人がしっかり守っていて、笑顔が印象的でした。赤い帽子は新調されたばかりのようです。 お地蔵様の後ろには、この前の戦争で死んだ人たちの墓が建っていました。普通の家の墓は、せいぜいひざ下ぐらいなのに、戦死者のものは立派です。
 木場にも地蔵様がいくつかあります。我が家は西川町貝柄との境目にある地蔵様の守役の一人です。年に一度お寺様からお経を上げてもらい、皆で会食します。また、木場上組辺りでは、子供会役員総出で地蔵祭りが行われます。家々をまわり角づけをもらいます。
 大事な財産です。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-15 13:07 | 木場のこと

憂郷シリーズその1 「木場八幡宮」を考える


e0034554_1045656.jpg


 今年の秋祭りの1コマです。最近は南小学校になったことから、板井黒鳥の子供たちもきてくれて、結構にぎわいます。テキヤも増えて本殿の前までぽっほやが並ぶようになりました。

 今回のテーマはこれ。
 木場小学校がなくなるときに、閉校事業に携わってました。真剣に村のことを考えました。村というひとくくりがなくなると、村独自のものは運営できない。役所は面倒見てくれない。さらに、愛郷心がへなへなになると、隣に住んでいるひとも他人になってくる。木場の棒踊り習うより、楽しい野球のほうが大事。・・・・こんな人が多くなる。

 将来、お宮の改修が必要になったとき、「自分たちのお宮をなおさなければならんぞ,金と力を貸してくれ」の呼びかけに、何人賛同してくれるのだろうか。と憂いているのです。村のことには傍観者、子育てになると自己ちゅう、批評が多くてフリーズ状態。頭でっかち。

 以前の記憶から・・・
 満行寺の庫裏改修の談義が5.6年前にあった。総費用1億2000万円。お寺様と世話方総代は、庫裏という皆さんが使う場所が朽ちてきて改修が必要なんです。という。
 400年の歴史、私たちの誇り。立派なものにしようという人は少なかった。
 そんげのぜいたくものいらね・・・また百姓いじめるのか・・・
 うちは分家で仏がまだ少ないから、分担金は少なくしてくれ・・・・そんねば檀家やめるわや・・・
 さんざんな木場もんである。

e0034554_10572298.jpg

 上の看板は、宮のもり公園側。行政の管理地は、韓国人やロシア人もやってくるようです。(看板に偽りがなければ・・・)賽銭あげていってくらっしぇ・・・チュセヨ。ナムニダ。

木場八幡様基本データ
本殿ー建築年不詳。武士の神、源氏系の神様応神天皇を祭る。
忠魂社ー大正12年建立。日露戦役以降の戦死者を祭る。木場遺族会が管理主体。
白龍様ー昭和40年建立。記憶によれば地震後に、蓬平の白龍神社から分祀してきたもの。婦人会(老人会婦人部)管理。確かうちの先々代ばあちゃんの名前があったようだ。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-11 10:46 | 木場のこと

なつかしい夏の思い出

今年のツーリングのひとこま・小樽行きフェリーにて
(写真提供は石田君)
e0034554_1546149.jpg


 写っている人物を紹介する。
 右端は、とど見習いの木場もんこと私。中央は隣村の山本君。(そうとう古い付き合い)
 右端は群馬のどっかの消防署隊員。
 時はゆうまずめ、昼に新潟港から乗船した石田山本両名とともに、すでに大宴会状態。持参した酒はほとんどのみ尽くしている状態。しかし意気盛んな新潟県人に、他県のライダーが次々に巻き込まれていく。
 そしてこの一枚。
 デッキのヘリポートに寝転ぶ。叫ぶ。石田君はカメラマンだが、酒びんとグラスを両手に持ったまま倒れこむ。酒を浴びる。顔に似合わず真顔で転ぶ。私はこの後、泥酔で「寝返りなし、いびきなし、記憶なし」で朝を迎えたのだった。

 フェリーほど楽しい乗り物はない。することが何もないから飲むしかないのである。
 それも真昼間から飲んでも叱られないのである。

e0034554_1612419.jpg

これも石田君のナイスショット。粟島沖を通過中一枚。

 バイク乗りになってから25年以上たった。
 最近のツーリングは、迷わず酒・うまいもの・風呂好きのおじさんである。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-09 15:48 | 自分のこと

晩秋の越後路 山登り・ハゼ釣り

 文化の日がおわると、旧暦では早くも立冬が待っている。この土曜日、たまたま子供の野球大会が五泉市で行われるため、見学者よりも実践者をモットーにしている私、父母応援団の視線を感じながら菅名岳に単独登頂してきました。

e0034554_1433250.jpg

山のもみじは光の透け方がすばらしい
手ごたえは角田山の3倍程度。菅名から隣の大蔵山を経由する尾根がよかった。先にもあとにも人影なし。気持ちよくて走りだしそうになったけど、熊が逃げる時間をやっておかないと大変なことになると思い、カメラ片手に3時間半ほど歩きました。



e0034554_1462826.jpg

ハゼ釣りの人、内野町を流れる新川にて
昨日とはうってかわって静養の日。二週間ほど前から釣竿を車に仕込んでおいた。日記によれば、例年新川のはぜが釣られごろになっている。勝手にえさをはばって待っていてくれる魚である。釣り人から情報を得て高山の橋近辺で竿を出す。昼までに30匹ほど釣れた。


e0034554_1475920.jpg

晩酌セットには、ハゼがのっている。今晩は、息子麟太郎が向かいに一人。カメラ目線を意識しつつ、撮影後はちびまるこにはまっている。
 参考までにその他のメニューを紹介。主食は古代米(黒いもち米)の五目おこわ。菊のひたし。きんぴらに最近流行のみずな・・・秋の恵みに感謝感謝。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-07 14:09 | 越後の国のこと

久々の埼玉へ

 
11月3日。世にいう文化の日、私の結婚記念日。今年は結婚15周年ですが、そんなことは家人にはまったく話題にもせず、久々に城西大学合気道部創部40周年に参加してきました。
 卒業して20年。懐かしい町並みが・・・後輩たちの声姿が・・・青春の真っ只中にあった当時の自分を連れてきてくれました。

e0034554_13383916.jpg

 クッションの効いたきれいな道場で、今の学生はうらやましい。
 みな技がうまい。でも受身の形がいまいち。われわれの頃は稽古の半分が受身の練習だった。技の研究よりも精神力が先だった。(おれの生き方も受身だらけ)

e0034554_1339350.jpg

 文化祭でのエピソードをひとつ。
 一年坊主の当時、学ランを着ていて、武道部連合の先輩以外は、まったく怖いものなし。
 文化祭に、お好み焼き屋を合気道部が出店することになっていて、先輩の検便を代理で出すように頼まれていたのをすっかり忘れて登校。すでに自分のものは放出済み。
 やきを入れられるよりもと一案、経済学部3号館便所で、他の学生を捕まえることにした。
 一人目・・・・「出なくなりました。」
 二人目・・・・「やわらかいのでだめです」「うそつくなこのやろう、みせてみれ」・・・・液体だった。
 三人目・・・・学ランを着た男。後で知ったのだが、ボクシング部の一年だった。
 私を先輩と勘違いしていたため、ひとつ返事で行動開始。従順にも、彼はきちんと容器につめて提出してくれたのだった。おれは、思わず「ごっつあんでした」と心の中で叫んだ。
[PR]
by kbmn37gnkds | 2005-11-04 13:40 | 茶がらけ日記