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やたら若い命・・・

  成長して、嫁に行くときでも、持たせようと考え、娘の成長過程を撮り続けてきました。
  家族が再び写真のように幸せに暮らせる日を望んでいます。      
    

                                              横田 滋
   
                        
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 めぐみさんのおとうさんが、パンフにのせているメッセージです。

  行列の中、大和デパートの写真展に行ってきた。

 何が憎いって、何が悔しいかって、

 きたちょうのばかたれは当たり前に憎いけど、こんな日本と住んでいる日本人が、ずっと平和ボケしてなにもできないことが悔しいさ。

 写真展の共催に入ってる朝日新聞社は、ずっと北朝鮮のことを労働者の楽園として宣伝して、多くの人を不幸に陥れた張本人。 
 よど号の犯人たちとつながってるやからが、ヤマほどいる新聞社なんて聞いたことがない。この新聞社、戦争中に軍部の手先になってた反省からか、うわべの反戦論調が多い。

 10年来、この新聞読んでたからよくわかる。
 小泉さんが、きたちょういって拉致被害者つれてきてから、産経新聞にかえた。なおも憤りがつのるばかりである。

 反戦平和は当たり前のこと。
 平和とは、武器を持って戦争をしてはいないけど、国と国との力のバランスがたもたれている状態をいうのだ。バランスによって休戦している状態なのだ。


 戦争の被害者は、いつも女・子どもであると偽善新聞社はいう。
 ならば、女こどもを守れない国はいったい何なんだ。
 
 靖国神社は、家族を守るために死んでいった人が祭られて、そのご恩に今がある。戦犯合祀なんていう、くだらない論調と、どっかの国のやじに、みぎひだりしているな。


 目頭を熱くして、憤るという、どうしようもない気持ちである。





 グレースユウコ・サトウ
 
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 彼女が死んでから2年がたった。1月22日が命日。

 聞いたときはまさかと思った。

 英語の国際交流員として、中学校・公民館を通じて仕事したあいだがら・・・
 
 明るいヤンキー娘だったのに、車に惹かれて死ぬなんて、やたら若い命・・・・

 今年、年賀状をおくった。お母さんから手紙が届いた・・・・・

  去年、ロスまで彼女の墓参りにいった。愛娘の面影を思い出すとつらくてという。お母さんとは、滞在中、彼女のことをあまり話題にしなかった。


    私自身、親になると、あれこれ 身につまされるものだ。

  
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by kbmn37gnkds | 2006-01-30 18:04 | どうでもいいこと

白黒で十分、現代サラリーマン

平日の昼時、学校町の食堂「丸屋」にて
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 昼は個食、ひとつのテーブルに一人、雑誌を片手に飯を食う。

   たぶん、若者とくに女性は、待ってる間は携帯いじってるでしょう。

 店に入って、暖簾、入り口に背を向けて座る。

   おれだったら、刺されるとわるいから、入り口に向かってすわるけど。まあ好みの問題。


 この食堂、学校町にあるだけあってボリームが半端でない。
 そば定食650円、そば・おしんこ・おにぎり3個つき。
 オムライス650円、盛り方がデコレーションケーキ風で細長くない。味はいわないことが条件。


 ところで、なつかしの木場駅

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 農協に用事があって、線路脇にたって写真を1枚。
 駅舎もこわされて、アウシュビッツのよう。新潟交通から駅舎を取り壊したとの連絡をもらったのは昨秋のこと。
 こんどは夏の線路を撮っておくことにしよう。

    夏草や・・・つわものどもが・・・

 公民館の「さよなら電車展」が懐かしい。
 あの年の年賀状は、木場の駅舎で、車掌さんと一緒だった。わざわざ、こどもと電車に乗った。
 ・・・・でも記憶がないようだ、そんなもんだ。人間だもの。・・・・


赤錆や・・・盗人どもが・・・見捨ててる
  担ぎ逃げても・・・金にもならず・・・・


                   この短歌、なんとかして (パクリきれなくて、もがく自分)線路の鉄を歌っているつもりレコード。
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by kbmn37gnkds | 2006-01-27 17:55 | 越後の国のこと

大衆演芸のゆくえ

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 恒例の古町散歩、通称「古ブラ」

 市内にできた大衆演芸場です。生花が多いのは、たぶん新しい一座の公演が始まるのでしょうか、看板に、「浅草しぐれ」と出ていました。テレビでいう、お芝居の世界、メジャーマイナーとわず、生(なま)といのは、一度ファンになるとはまるらしいです。

 生というのは、五感すべてと肌からつたわってくるものでして、今の仕事(家屋調査)になって間もない頃、同僚と話していたのですが、
 「最近はやりの、IHクッキングはいかがなものか」という論議になりました。
  「てんぷらや煮物なんかは火力調節が自動でできて便利らしいよ」
  「火事の心配はないな」「家事の苦労もないな」
  「ばかな、中華なべを揺さぶったり、がつがつと五徳にぶつけながらいためるのがチャーハンだ」
 「強火、遠火の焼き魚、いかはどうやってあぶるんだ」
 「やっぱり料理はライブ感がなきゃだめさ・・・」

 この辺に、大衆演芸の盛衰にヒントがあるような気がしています。


 今回の話題はこれではなくて、木場の満行寺で初のコンサートが開かれることになったのです。その宣伝です。
 先代住職様に代わられて若返ったわけですから、古い格式のある寺ですが、昔、寺子屋時代のように、村の文化をつくっていかないと、葬式をやるのが寺の仕事になって、ついつい坊主丸儲けなどと口汚いことになってしまうのを恐れていました。が・・・
 親戚の年忌にお寺様と会うたび、
「寺内の木に釘打っても、いいことらば檀家はおこらんがね」
「満行寺の森美術展」とか「お堂コンサート」など話題にしてけしかけていましたので、私としてはうれしい限りです。
 まー、音楽というのは「聞きたいとき」「聞きたいもの」が一致したときが肝心なので、決して強制ではありません。正直私自身、本堂のご仏壇の前でリラックスできるかどうか。少しは、仏ごころがある身ですから・・・・

 チラシを記念につけておきます。日報に情報いれてやるかどうか悩んでいます。

                                      合 掌

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by kbmn37gnkds | 2006-01-25 11:33 | 木場のこと

木場でいちばん怖い場所



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 昭和40年ごろまでは、どこの村にもあった火葬場。

 焼き場という仕事がなくなってから、はや40年、ごみの不法投棄があり、今ではカラスの憩いの場になっている。

 子どものころに死人が焼かれる話を聞いた。
 怖くて怖くて、でも聞きたくて、聞いた後は、想像力が現実を越えた世界に入っていて、また怖い。
 焼き始めると棺桶のふたを死人がけり破る・・・・・

 ・・・・あばれて起き上がってくるから、棒で向きを直してやる・・・・

  たきものがなくなっても生焼けなのはへたくその仕事・・・・

しも風にのって焼き場からにおいが部落に流れてくると、「どごどごのもん、やかれったか・・・西の国いってしもたー」
 村の人は、野良仕事をやめて手を合わせたという。

 生と死が日常にあった時代。
 生まれた子どもは5歳までに半分ぐらいに減り、大人は50歳が寿命。還暦・古希とは、みごとな漢字、いい得て妙である。

 昔は、そうれば組があって組毎の順番で火葬場の仕事が回ってきた。百姓仕事は休み、縁ある人みんなが野辺送りに出た。
 生活は苦しかったと思うが、いい時代だったと思う。


 火葬場は、村からお寺に寄付されている。
 世話方の会議で、決算書に管理費の支出があって、ふと思った。
 この時代、貧しくてお寺の勧金が払えなかった人はいたけれども、お寺の文句ヤマほどいって金払わんかった人はいなかったと思う。

 来週は、お金集めに家々を回る。 ため息がでる。

 




番外編

いつもの浜に岩のりを求めて。波残りでつるつる状態、下段の分は採られなかったが、雪が多い年は豊漁だ。

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 欲出して、下段に下りたところで、足払い一本がきまり転倒する。その間に波をかぶる。
 
 人間、欲だらけ・・・・ズボンこけだらけ・・・・したっぽー・・・
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by kbmn37gnkds | 2006-01-22 11:34 | 木場のこと

春を待つ

倉庫にねむる単コロ

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冬暮れ、一瞬のオレンジ色・・・・コート1枚よりもありがたい

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 今回は、逆光をあえて使い、二枚の写真で構成してみました。

 下の1枚は、いつもの山本レポーターから

 一枚の写真に一キャプション。一生一品。逆光逆境ものともせず
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by kbmn37gnkds | 2006-01-14 12:52 | 越後の国のこと

インスタントな時代

 今日の新聞おくやみに、永谷園社長がのっていた。
 戦後まもなく、京都のお茶漬けを手本に改良を加え、日清カップヌードルとともに、爆発的なヒットとなったお茶漬けのり。
 汁かけまんま時代からお世話になった。付録のお吸い物も、マツタケの味とはこんなんだというのを本物以上に教えてくれた。
 今朝も、中学校に通う長男は、永谷かっ込んでいった。7時4分の唯一のバスに乗るために。

 話はかわる。
 冬場の子どもの通学。
 私は、ついで以外に子どもを送迎しない。 朝は、10分ほどあとに車で出勤する私は、歩いているよその子はのせてってやるけれど、自分の子は送らない。
 「間に合わないやつは一生、間に合わないぞ」
 「親から一生送り迎かえされてんか」ともいう。
バスに乗り遅れたら、自転車押していけという。先生からは、自転車にのってくるなと叱られる。近くまでいって自転車かくしておくようだ。まさに板ばさみ・・・
わをかけて 「トラクターかしてやろか」とかまう。

 他の親たちはやってくれてるのに・・・本人は、さぞひどい親だと思っていることか。
 
そうじゃないんだよ、あなたが間に合うようになったとき、

 「たいへんだね、ついでにおくってやろっか」のタイミングを待っているんだよ、あーこら」

 話はもどる。
 インスタントな時代にあって、どうにもならない今年の豪雪。雪の下になった野菜が、やたら、甘あーーい。厳しい試練がおいしい野菜をつくる。グローナップスしかり・・・
 わかるかな・・・・わかんねえだろうな・・・・いぇぇい・・・
 
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 金沢、武家屋敷どおりにある老舗の飴屋「俵屋」
 城下町では、インスタント文化は似合わない
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by kbmn37gnkds | 2006-01-12 13:08 | どうでもいいこと

豪雪地帯を見舞う(気持ちだけ届ける)

 栄村の役場に勤めている、知人の斉藤さんにお見舞いのメールを送りました。何もできませんが、がんばってくださいと。
 栄村は、テレビで今回一躍有名になりましたが、津南町のお向かい「秋山郷」の地元です。
 山の様子、今回の豪雪の写真がのってますから、彼のブログを下にリンクしておきます。
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どんなにすごいかっていう写真、彼のブログからいただきました。真ん中のにほんせんは、JR飯山線の線路です。
http://blogs.yahoo.co.jp/bun3342

木場・少雪地帯の様子
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わが家の雪のけ隊の面々。

雪遊びがしたくて、はしゃぎついてきた朱鷺子。
   ・・・・・自分のぬける縄張りを荒らすとおこる性格・・・

コタツで丸くなっていた長女、いろは。
   ・・・・・中学になったら、DVDコンポを買ってやる約束なんだけど、そんな逃げ腰ではコンポはあきらめるんだな、と、おどされて除雪労働に従事する子。しっかりものでがめつく、計画的犯行がおおい。ばあちゃんの買い物袋から、自分の食べる菓子を抜き取って、秘密の場所においておくこと常習・・・

部活帰りでまったく気力体力のない、長男麟太郎。
  ・・・・・シャベルの雪を遠くに投げ飛ばせ! 体をきたえるのだ! 部活のつづきだ!
檄にも動じないずぼらな性格。へこんでも強い何かがある。また檄をとばす
  ・・・・・道路の雪のけは、世のため人のためじゃ!自分のためだけに、飯くってくそたれてんじゃねーぞ・・・・って。
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by kbmn37gnkds | 2006-01-10 15:13 | 越後の国のこと

寒い日がつづく

台湾のふかふかの爆弾おにぎりを思い出すなあ。
          買っている人の指の開き具合、見て。

茶碗で3杯くらいのもち米に、中身は卵焼きとかりかりのえびのようなものと高菜。これで60円。
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by kbmn37gnkds | 2006-01-06 14:31 | どうでもいいこと

古時計に先祖の足跡を見た日

大晦日、大掃除というほど大げさではないが、客間の拭き掃除をしていたときのこと。
 もしも将来、息子麟太郎が、このブログを見て学ぶことがあればと思い、書き記す。 

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いつもの年同様、客間を掃除をしていた。
唯一タバコがすえる部屋のため、上空にくろずみが着きやすい。脚立に上って昔からの柱時計をはずしたところ、裏側から、黒々とした墨字が書いてある。

「明治29年、横田川切れ記念 翌30年買求め 五十嵐市太郎」
「昭和32年修理 笠原万六にて」
「昭和49年修理 笠原七司にて」

最初の文面は先祖市太郎の名前のとおり、次に書き足してあるのは、祖父、芳忠のもの。
ちなみに笠原氏とは大野町七区の時計屋「笠七」、芳忠は定期便で大野に通っていた。
 先祖のことを話しておく。

 ○五十嵐芳男(父、平成16年没、一般的に苦労した人。米づくりに長けていた。批評にことかかないが、それは次の世代に任せる)

 ○五十嵐芳忠(祖父、昭和58年没、一般的に道楽散財した人。二号がいたり田んぼ売ったり、村の議員になったりと小プラス大マイナスの有名人。)

 ○五十嵐石太(板井村丸山助六から婿に来た人、温厚。二宮尊徳の報徳運動に寄与したとして表彰状あり)

 ○五十嵐留吉(市太郎の弟、読み書き、勘定に長けていて、兄、市太郎による家の傾きをおおいに建て直した人。幼少の頃に、新潟市本町の親戚五十嵐健次氏に養子に入った後、復籍して五十嵐家当主となる。副業で風呂屋を始める。新潟医学専門学校(後の新潟大学医学部)に泉質の鑑定を依頼していて、鑑定書が掛け軸に残っている。

 ○五十嵐市太郎(嘉永6年出生、大正8年没。ペリー来航の年に生まれ。
 維新のときは14歳。山際七司の4つ年下。辞世の句が掛け軸に残っている)市太郎については詳細を後述する。

 ○五十嵐初蔵(文政10年出生、明治22年没。
 明治の初めに、川向こうの俵柳から古民家を移築した人。けっこう大きな梁組みの家で、昭和55年に今の家を建てるまで使用した。
 (県立図書館郷土資料に写真記述あり)

 ○五十嵐九之八(江戸後期の生まれ。
 戸籍に残る一番古い人。たぶん九之助から数えて、八番目と推定、はじめて戸籍をつくるときに苗字をもらいそれにあわせた便宜上の名前だと思う)

 ○五十嵐九之助(先祖。たぶん苗字はなし。
 命日は1月2日、生年没年不詳。お寺の過去帳焼失のため)
 村上藩の書物から、木場新田組の五人組制度の中で、初めて名前が登場する。

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五十嵐市太郎のこと。

 時計にある市太郎は、ほぼ山際七司と同世代。
 たぶん同じ村にあって庄屋と農家として主従関係にあって政治に傾倒していたのではと思う。 彼の辞世の句は壮絶である。
 
 「つくりおきたる火の車 六字のまえにすがる道とし はや世のちりあくをすてて いまは浄土にまいるいさむ」    ※六字とは南無阿弥陀仏のこと

 去年、父の遺品を整理していた折、一通の書状を見つけた。宛名は五十嵐市太郎、差出人は国会議員、江原素六(※)と杉田定一の連名で、日付は明治41年5月となっている。山際七司没後17年余りのこと。文面は、第一回衆議院議員の同期、七司の子山際敬雄氏の国会当選のため力を貸して欲しいという内容だった。たたんで片付けるよりもと、額装して茶の間に飾った。この書状が木場村中に配られたとしても、間違いなく宝物である。

(写真時計の右)
 この市太郎のことをもっともっと知りたいと思っている。
※江原素六は沼津出身、東大予備校といわれる麻布高校創立者である。

もうひとつ謎がある。横田川切れで買求めた時計、柱の上にかけてあったのが、ほんとに水に浸かって壊れたのだろうか。同じ時期に、自然と壊れたのだろうか。内野村槙尾にある寺でさえ、柱の下段浸水程度、わが家のあたりは内野村からみれば、1メートル以上海抜が上だと思うが。
 年始あいさつついでに、村の古老、丸山和五郎氏に尋ねるも、特に情報得られず。
 いずれにせよ、西蒲原地方を襲っ横田切れ、信濃川氾濫による大洪水は、絵巻物にもあるようにすさまじかったようだ。
 わが家では、代々家普請に、土盛り土留めが必須項目となっているのも、この出来事が関係しているのかもしれない。
 

 ひょんなことから、横田切れの歴史が登場、一瞬にして、仏間にある先祖の顔が蘇った。・・・・・・・
         平成17年12月31日 大晦日のことである。


番外編1
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 石太じじの長女、丸山ツギさん、明治43年生まれの95歳。
 丸山和五郎さんに嫁いで幾星霜、いまだ夫婦とも健在。
同級生同士の結婚で、和五郎さんは勉強2番で、いさけは一番、一方ツギさんは、女で勉強一番だったとのこと。
 ・・・・・・同級生たちは、すでにみんな西の国にいっているから、真相は不明であるが、卒業名簿に書かれている名前の順番は、確かに前だったが・・・・。


番外編2
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 平成18年の幕開け、元旦マラソンスタートの瞬間。
 わが家は、数年前から家族で参加していて、妻も私も、これを節目にダイエットを誓う。
・・・・・・有言不実行、計画ありて作戦なし。

ギリシャ神話のバッカスが、台所に住み着いているからだ。
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by kbmn37gnkds | 2006-01-04 10:44 | 家や家族のこと