妻の実家。
父は他界し母は高齢者介護により終の棲家へ。
空き家に残るのは、仏壇・神棚・この宗派の社。
長い間、お世話になりました。
この家の人たちは、親様に守られてここまで生きて参りました。
本日。
教会の人によって、この社を閉じる儀式が行われました。
20年前、結婚したてのころ、この総本山がある奈良のT市に行ったことがあります。
壮大な敷地に大神殿。今はそんなのに驚かない年になりましたが、すげーって。
ま、われらが門徒の総本山も、似たようなもんです。全国からの信者によって寄付が集まり、でっかい建物ができるということですから。
おじばがえりといって、JRの切符も割り引いてくれるというのはすごい。
信仰によって、人は救われる。
間違いないことだ。
他の信仰を批判することはいけない。
信仰によって、信者だけに通じるエゴが出てはいけない。
教会の人から。
信者の方が、まだ生きているうちに、社を引き取るということは初めてですと言われた。
そして、今日は、最後の御勤めを、しっかりさせていただきますと。
私たち、今を受け継ぐ世代は。
ある意味、空き家にあって参る人もなく、放置しておくことこそ行けないと思う。
ある家の、一区切りの儀式として、きちんとできてよかったと思う。
未来に。
次の世代に。
救われたかったら、また始めればよいではないか。